湯田孝次のお家事情

2013年03月21日

孝次少年時代貴重な写真が出てきたので記録しておきたい。15歳の時に村を出て行ってしまったので、今となっては、この一枚だけ。
お袋が持ってきてくれた。
<家族・兄弟>
 湯田一吉とカツヨとの間に昭和28年10月16日に生を受ける。兄弟は、幸子(長女)操(次女)孝芳(長男)孝次(次男)吉則(三男)の5人兄弟で下から2番目。
血液AB型。
<少年期>
少年時代は「ど・も・り」だったため、ナーバスだった。しかし、歌は大好き。小遣いが欲しくなると各戸へ「はいっと!」といって、庭先で歌を歌っては小遣いをせしめたものだ。まだ、テレビは無く、ラジオで覚えた「赤銅鈴の助」と「月光仮面を」歌っていた。写真は小学3年生の時、後ろはタバコ屋さん、手前は神社の川にかかる橋です。ついでにその時の通信簿を載せてみました。漢字とかけっこが少々苦手。
<家計>
父、一吉は、片足のため就労ができず、母、カツヨの女手一つで極貧の中で育てられた。故にこの時期体重は20kg、小学卒業時に、ようやく28kgまでになった。骨川筋衛門(ほねかわ、すじえもん)というあだ名も頂戴していた。
成績表

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2010年12月16日

2010年平成22年に「我が偉大なる母、カツヨ」の米寿祝いを挙行した。

 大正15年5月19日、湯田繁義、リノの長女として栗生沢で生を受け、栗生沢育ち、20才で湯田一吉と結婚。34歳の時、一吉が片足切断という事故に遭い、以後、身障者を抱え、女手一つで3男2女を育てあげるという艱難辛苦の「極貧人生」ど真ん中を生き抜いて生きた強者
私は、そんな環境で育った上から4番目の息子です。
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夢追人yudakoji28 at 16:47コメント(12)トラックバック(0) 

2009年09月29日

朝6時出発。今日はどうして会津まつり1も、なんとしても、見たかった会津祭り。娘二人と孫一人を連れて、会津若松へ。
早かったため城内の駐車場へ駐車することができた。NHK大河ドラマ「天地人」の上杉景勝役とその妻役の2人が来るというせいも有ってか城内は、人垣で一杯。頭の中が「天地人」埋まっていただけに、チョットとまどいが
…。
会津は幕末の悲劇が永遠と観光の基盤なんだと再認識させられた。

「新撰組」と「白虎隊」そして「娘子隊」

豪華絢爛の武者行列を見た後、久しぶりに武家屋敷へと足を運ぶ、西郷家老宅だ。「でかい」。

おふくろと墓
午後2時に会津若松を後にして、母の待つ実家南会津町栗生沢へと車を走らせる。途中、お墓にあげる花と線香を買い3時半ごろ実家に到着。
 お袋と一緒に写真を撮る。
湯田カツヨ(87才)、いたって元気。今はやりの認知症の気配など、全く無し。頭は明晰、至って元気。この村生まれでこの村育ち、この村が世界の中心であり世の常識の中枢と思っている。お袋の話は、このブログの大切な題材。歌はオンチで歌わないが白虎隊の唄は、しっかり音程を守って歌うことができる。50年ぶりに聞いた「♪アラレのごとく乱れ飛ぶ、敵の弾丸〜♪」と、私が5歳の時に母から聞き覚えた唄だ。親父からは詩吟を習い、お袋からは唄を習った。それ故、会津の唄は、50年経った今でも、鮮明に歌うことができる。夕方5時、実家を後にする、故郷をハミングしながら。



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