2008年09月24日

毎年の自己慣習としている9月23日のお彼岸。実家「栗生沢」の親父の墓参り。この地区はお彼岸の墓参という習慣が無い。今年は娘二人と孫一人と一緒に。途中、兄貴がやっている「リンゴ園」に立ち寄り兄貴の嫁さんとしばらく談笑後墓参りの前に大内宿へそば食べに。しかし、道路は大混雑。村の入り口で、立ち往生。あきらめてUターン。大好きな親父が眠る墓へと直行した。 一年間の報告と自分の心の洗浄に。黙とうの静寂感が、心を満たす。 しかし、可愛いかな母親が傍らで、処理の早さを求めてくる。墓参りの意味、感受、文化のソフトは全くといって無い母親。もっとも、この地区の人、全体に言えるのだが全てが慣習化され行事の形骸のみと成されている、全てがだ。というのは行事の有り様に何ら疑問を持つ術が無く、強制的に、且つ義務的に受け入れさせられているという実体だ。村人全員といっても過言ではない。死は厳然と受け止め、何の意味を持たせず、ただ時間だけが経過していく。村は恐ろしいほどの静寂感を持ったライブ感の無い村そのものだ。もっとも、そんな時間が全く止まっている村「栗生沢」を私は大好きなのだ。そして、かつて、有った数々の行事の復活と再興を願っている自分がそこに出てきている。

 



夢追人yudakoji28 at 11:19コメント(0)トラックバック(0)栗生沢帰省  

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